月でうさぎがヒトリゴト。

たぶん大体食べものの記録。

ひとりごと。

私は、毎年、この時期、凹む。
というのも、ある先輩の命日がくるだからだ。
私がはじめて知った、人の死だった。

特別に好きとか、そういう感情があったわけではない、でも、ものごころついてからはじめての身近な人の死であって、私はこの先輩の死に非常に固執している。
ミキサー卓の使い方を丁寧に教えてくれた先輩。
某コンクールに行く満員のバスの中で、席を譲ってくれた先輩。
某市民会館で、窓から見える立ち木に鳥の巣を発見して楽しそうに眺めてた先輩。
すこし無口だけれど、とてもとても優しい先輩だった。

あの日の前日、私が帰るときには、スチームの上に座って、部室の本棚にあったマンガを読んでいた。最後の挨拶は「お疲れ様でした〜、さようなら」だった。私はいつでも「お疲れ様でした、また明日」って言ってたのに、あの日ばかりは違ったの。なんでだったんだろう。
あの日から、某コンクール東北大会の日まで、先輩は「欠席」だった。部活の顧問教師の意向で(「部活がいちばん楽しみ」とおっしゃっていたS先輩のご両親の配慮もあったのでしょうが…。)、H局長、T先輩、M先輩を除く、先輩たちも事実を知らなかった。「S君、明日の集合時間と場所分かってるかなぁ」といったY先輩に、「Tが伝えてるでしょ」と返したH局長はどれだけ辛かったのだろうか。うちの顧問は自由に活動をやらせてくれて、良い顧問ではあったけれども、このときの対応が原因で、まったく好きではない。
コンクール当日、イッコ上の先輩たちが途中からいなかった。火葬場に行く前に、最後のご挨拶をしていたのだと、後から知った。
次に学校に行った日、2個上の先輩たちと、私たちの学年にも、知らされた。そして、お葬式に全員が行くとご迷惑になるので、私たちの学年からは5人、と言われた。
当時、直前に一人が部活を辞めていて、ミキサーが6人とアナウンサーが8人ぐらい?順当に、ミキサーが行く事になった。で、ジャンケン。5/6。でも、ジャンケンで負けたコは、先輩と同じ行事の担当で、縁が深かった。どうしても行きたい、と言うので、関わりで言えば一番遠い私が譲った。
私が特別に先輩の死にこだわるのは、この所為なのだと思う。Nちゃんに辛い思いをさせたくなくて譲ったのは確かなのだけれど、先輩がもう生きていないという事実に近づきたくなくて、逃げたくて、譲ったのでもあったのだと思う。5人が6人になったところで、そう変わらないじゃないかと、行けばよかったのだ、6人そろって。

そんな感じで、私はその後、お仏壇に手を合わせに行く時や、お墓参りは率先してスケジュール決めて、もやもやを吹き消したくていやにテンション高く行った。同級生のお葬式にも、新幹線に飛び乗っていった。お葬式ってさ、残された人のためでもあるよねー。残された家族は、やることがあることで、自分をなんとか保てるし、残された友人たちの、心の整理にもなる。

もし先輩が存命だったら、IshセンパイやDスケセンパイや、O女王と同い年、かぁ…Dスケセンパイなんか今週結婚しちゃったしなぁ。もう8年だもんな、長いけど、早かったなぁ。学生生活最後の年だし、今年の年末は、お墓参りに行こうかな…。